12月17日
何ゆえ男尊女卑になったのだろう?
動物のオスメスの性交は能動的、受動的と共同作業のように見えるが人間はと言うと我々男にとって長い歴史の間に確立されてきた女性器の性的魅力がフェティッシュであり今日においても、中心的な役割をしている限り男女間に関わる言葉、行動、全てが性交とは男が女性器を使ってするものである事を示しているのではないだろうか。
そして、この「性交は女性器を使ってする」と言う男の一方的は都合によってスル、サレルことが女性にとっては苦痛だったに違いないし今でもそうであって、当然其処には性交するには勃起と言う最優先する事実があり、其のチャンスを逃さない為には女性はいやでも性交に応じなければならないという事実もあったに違いないと、この歳にして回顧するのであります。
さらに「性交は女性器を使ってする」する事が子孫を残すと言う本能的な観念が男を勃起させなければならないという事に女性は譲歩したのではないかと思うこの頃です。
この間は長い時代を経て確立されている為、他の人は如何思うか知れませんが女性は男に対して強く出ると不能(インポテンス)に陥ることを知っており、男に不能になられては様々な秩序が乱れ、元も子もないので「一歩引き下がり男を立てることによって」社会形成をしていったに違いないとも考えたりもするのです。
このことが長い間かかって男尊女卑という性的差別を生んだ背景になっているのではないでしょうか。
でも、私は思います。
女性は男に同情し、妥協して「性交は女性器を使ってする」すると言う男の主導権を認める形を取ったが不能になると言う弱点を握って、したたかに支配権を握っているような気がしてならないと思っているのは私だけでしょうか。
漸くにして近年、男の弱点を握って「あからさまに女性のオルガスム性欲を耳にする時代になって」単に膣の中に射精すると言った男は毛嫌いされ始め、此れまでの女性が男を立たせる役目から、昨今の男女間の風景を見ていると「今度は男が女性をイカセル役目」と変わってきているに違いないのではないだろうか。
しかしこの風景も、長い間かけて前述した男尊女卑のような経過をたどることは歴史が
証明するのでしょう。
性が男から女に変わっただけで行為其のものの変化は無いからです。
むしろ、一頃流行った言葉にユニセックスと言うのが有りますが性そののもの間隔は狭まるのではないでしょうか。言葉とか、着る物とかそして考え方なども近接してくると思うのは私の思い過ごしでしょうか。
だからこの事実に危機感を感じ必死になって「男たらんとする者は・・・」と力説するのを遠吠えに聞えるのは未だ力不足なのでしょうか。もうすぐ2000年です。 沼崎
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